原発ゼロを目指すことは、日本の未来にとっては大正解!だと思います。
小泉純一郎元首相が講演で「全原発ゼロを実現し、循環型社会を目指すべきだ」と、したのはまさしく日本とってもいいことです。
なかなか元首相が勇気を持って日本のあり方をとるスピーチをする人は少ない中で、「 未来の日本を考える」、ひいては「 未来の世界を考える」とも言えます。
以前にも、当ブログで記述しましたが、
天文学的な甚大な被害を経済的にも、精神的にももたらした原発事故や、放射性廃棄物、放射性物質の怖さを体験した日本にとっては、
これ以上の最悪の環境をもたらす原発はもはや時代逆行と言ってもいいですね。
一部割愛してますが、多くは下記の記事の引用からも十分理解できるのではないでしょうか。
中日新聞では
「経済界の人と話をしていると、原発ゼロなんて無責任だと憤る声が多い。
わたしはそんな中で原発ゼロを主張しています。」放射性廃棄物、核のごみをどう処分するか、
あてもないのに原発を進めていくのは無責任ではないか。先日、エネルギーの地産地消が進むドイツやフィンランドの「オンカロ」という最終処分場を視察した。
最終処分場は四百メートルの固い岩盤をくりぬいた地下に埋める。
それでも原発四基のうち二基分しか容量がない。そもそも今、ごみを埋めても十万年後まで人類がきちんと管理できるのか。
野田佳彦前首相が一昨年暮れに事故の収束を宣言したがとんでもない。
原発は事故が起きれば人の健康や農水産物、地域への影響が計り知れない。民間会社では負担しきれない。
汚染水対策も廃炉も税金を使わなきゃできない。事故の賠償にこれからどれぐらいかかるのか。原発のコストほど高いものはない。
原発の代案はない、今すぐ全廃は無謀という声も聞くが、政治がはっきりと方向性を示せば代案は出てくる。
日本人は焦土からでも立ち上がった。これという目標ができれば、官民が協力し、ピンチをチャンスに変える特性を持っている。
今、原発をゼロにするという方針を自民党が打ち出せば、一挙に(脱原発の)機運が盛り上がる。(太陽光などの)再生可能エネルギーを資源にした循環型社会をつくるという夢に向かって結束できる。
世界が必要とする安全な社会をつくるため、今はピンチではなくチャンスなんだ。
上記の記事を見ても、未来の日本にとって、本当に人や環境にとって『やさしいこと』は何かを考えれば答えは出てくるわけです。
今の電力供給を考えればとの解は、分からないでもありません、でもそれは単なる言い訳にしか過ぎないじゃないですか。言い訳はもうよしませんか?と言いたくなります。
テレビでは、もうひとつ、週刊朝日にも興味深い記事があったので引用しますね。
「汚染水なんていうのは、どこから漏れてるのか、海は大丈夫なのか、はっきりした結論が出てない。
つい最近、安倍総理が汚染水視察に行きましたよね。ヘルメットして、顔面にマスクをして、全身防護服で。
約3千人の作業員も防護服姿で汚染水処理にあたっています。
一日の作業が終わったら、その服は全部、捨てなきゃいけない。
それらは焼けない。また放射能が出てしまうから。そして未だどこまでの地域に入れるのか、どこまで安全なのか人体だけじゃない。
生物、農作物、海産物。被害がわかりません」(小泉氏)小泉氏が語ったところによれば、脱原発を志すようになったのは、
NHKが原発事故後に放送した海外制作のドキュメンタリー
「地下深く永遠に〜100,000年後の安全〜」を見たのがきっかけだったという。同番組は、フィンランド南西部の島で建設が進む
世界初の使用済み核燃料の最終処分場「オンカロ」がテーマ。「オンカロ」はフィンランド語で「洞窟」の意で、文字どおり、地下400メートルに掘られた空間に、
核のゴミを埋め、10万年以上にわたって封印する施設だ。この番組をきっかけに原子力の勉強を始めたという小泉氏は今年8月中旬、
三菱重工業、東芝、日立製作所など原発メーカーの幹部らと一緒に「オンカロ」を視察。
このとき、脱原発を確信したというのだ。「原発に投入したカネを、
それぐらいの額を自然を資源にするさまざまなエネルギーにこれから向けていく。
私は日本国民なら必ずできると思う。
そういう大きな転機がこの大震災でやってきたと捉えたほうがいいと思うんです」(小泉氏)環境エネルギー政策研究所所長の飯田哲也氏は、こう推測する。
「首相時代の小泉氏を見る限り、エネルギー政策には興味を持っておらず、
経産省まかせにしていた印象です。ただ、勘の鋭い人ですから、福島第一原発の事故を経験して考えが変わったのかもしれません」
飯田氏が指摘するのは慶大生時代の小泉氏を教え、
小泉政権では内閣府顧問として構造改革のブレーンとなった
経済学者の加藤寛氏(今年1月に86歳で死去)の影響だ。加藤氏は遺作となった3月発行の著書『日本再生最終勧告
原発即時ゼロで未来を拓く』(ビジネス社)の中で、あるエピソードを披露している。震災直後の11年5月、加藤氏、小泉氏、竹中平蔵氏の3人が集まって都内でセミナーを開いた。
表舞台を避けてきた小泉氏が、加藤氏の依頼に「最初で最後」と応じたものだという。
この会で、小泉氏はこう語っている。〈今後は原発への依存度を下げるべきだ。
代わりに風力、太陽光、地熱などの自然エネルギーを促進すること。
そうすれば地球環境問題にも貢献でき、エネルギー分野に新たな技術も生まれるはずである〉
つまり震災2カ月後には、すでに脱原発に目覚めていたのである。このセミナーで、加藤氏も脱原発を明言して小泉氏を援護射撃。
日本の電力の歴史をひもといて「原発即時ゼロ」を訴える遺作の帯では、
〈小泉純一郎氏 竹中平蔵氏 推薦!〉と、小泉氏は盟友の竹中氏と共に名を連ねている。
日本が目指すべき道や未来のシナリオをきっちり持たないと!
今はいいけど未来の日本は・・・に、ならないように、未来につなげるのも責任あるリーダーの役割です。
今回日本が経験した未曾有の原発事故は大きな教訓として生かしていくべきで、
最悪の悪夢の中から未来の光を見出す大きなチャンスとしなければ、全ては時代に逆行して走ることになります。
できない言い訳はリーダーがとる道ではないのですね。
本当の輝かしい未来像を待つビジョンを示して、なんとしても実現可能に実行することが、リーダーのあり方ではないでしょうか?
進化と真価を問われる時代に入ったと思います。