田中将大投手がリハビリを始めて、復帰を目指せる理由は!

前半戦のヤンキース 田中将大

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田中投手はインディアンス戦後に右肘の痛みを訴え、
(写真出所:日経新聞)
磁気共鳴画像装置(MRI)検査の結果、

 

右肘内側側副靱帯の部分断裂」と診断され、
第一回目のリハビリを開始します。
日本経済新聞でも興味深い記事がありました。

 

メッツのマット・ハービーは1989年生まれの25歳。
2012年後半に登板し、
2013年は開幕から先発ローテーションに定着。

 

4月に4勝・防御率1.56の好成績も、

期待の星でもあるマット・ハービーは田中同様、
右肘の痛みを訴え、靱帯の部分断裂に。

 

リハビリを決意して戻る意思を示すハービーは、
2カ月後に手術をします。

 

現在は、2015年の開幕を目指してリハビリ中

そのハービー曰く、

投手は皆そんなもんだと思った。
ましてや僕の場合、7月からあった違和感は
前腕部、手首に近いあたり。
それ以外はいつも通りだったから。

 

調べてみると、
2014年7月16日にオールスターゲームでは先発投手を務め、
2イニングを無失点に抑え、

 

オフの2014年10月4日に右肘の手術を行うことを発表、
10月22日にトミー・ジョン手術を受けました。

 

違和感から約3ケ月のブランクがあったわけです。
2013年は、9勝5敗、奪三振は191、防御率は2.27。

 

田中とハービーにとの共通点は、好成績を挙げ、
田中もハービーもチームの要になり
チームからの依存度が非常に高いのです。

 

デビューして共に1~2年目。
2人とも大リーグでは新人的な存在で、
「チームへの貢献」という意識は強いこと。

 

ストレスとの関係はどうなのだろうかと思うほどです。
それが、張りや緊張、多少の無理など微妙に
関係しているようにも憶測してしまいます。

 

逆に共通していないところは、
ハービーの違和感が7月からあったようで、
上記のように10月近くまで、違和感を覚えつつ
松坂のように、そのまま投げ続けたことです。

 

つまり、それが悪化していった可能性がありそうです。

また、手術を受ける受けないについては、
ハービーは、

 

いや、精神的な問題だった。
手術を回避するつもりで懸命にリハビリしていた。
断裂した箇所は小さかったから、戻れたと思う。
ただ、リハビリの途中で、
次に投げたとき、ブチっていったら・・

手術がベストの選択と思うようになった。

としています。

 

一方、リハビリを選んだのは、

2014年のオールスターで先発した、
カージナルスアダム・ウェインライトについても
田中投手の復帰に期待が持てるくらい興味深いです。

 

1981年生まれの32歳。
2メートル以上の長身から繰り出す
フォーシーム、ツーシーム、
カーブ、チェンジアップと多彩な球を装備!

 

ウイキなど調べると、
アトランタ・ブレーブスのファンでありながらも
現在は、トレードでカージナルスで活躍中!
移籍は彼にとってはショックだったはずです。

 

2014年はオールスターにも選ばれ、
前半戦を終えた現在は
リーグではなんとトップの成績!
2014年メジャー前半戦投手成績
↑(後半のメジャー成績は変化していくでしょうけど・・)

 

逆に、ブレーブスは地団駄を踏んで、
絶対後悔しているはずです。汗

 

ウェインライトは、マイナー時代の2004年、
リハビリによって右肘靱帯の部分断裂から復帰します。

 

断裂は小さかったし、全く問題なかった。

その後、06年ワールドシリーズ制覇に貢献し、
2007年から4年連続で2桁勝利し、
2010年には20勝を挙げます。

 

2011年春に再び靱帯を断裂していることが判明し
手術をすることになりました。

 

つまり、復帰から7年後に手術をすることになりましたが
それまでは、リハビリでも十分通用していたわけです。

 

下記の日経の記事で、
アンドリュー博士が挙げているように、
靱帯の断裂は手術をしないではつながらないため、

 

登板間隔などの影響?など、
負担をかけすぎていると、いつかは
手術になる可能性を秘めているのです。

 

それは負担の負荷の度合いや、
周りの環境によりますね。

 

ということは、リハビリ後に、
ダルビッシュ投手が言うように

 

中4日では腕や肘に負担がかかる可能性は高まり、
最低限、中5日から最良で中6日であれば、

 

炎症が抑えられて、
肘のダメージから回復して
投げられる体勢になるというわけです。

 

ここが最大のキーポイントになりそうです。

 

球団はそのことを調査して、今後どうするかなど
ピッチャーのケアを考えることが、

 

球団やチームにとって、
もちろんピッチャー本人にとっても
長いシーズンを送るには、そうしたケア
最大の防御と攻撃になると思われます。

 

トミー・ジョン投手が手術を受けたのが40年前。

2014年は手術を受けた選手が
過去最多のペースにあるようです。

 

日経の記事で見た野球に関するあらゆるデータを集めた
米ウェブサイト「Baseball Heat Maps」によると、

マイナーリーグの選手も含めてすでに60人を上回るようです。

 

スプリットボールの投げ過ぎが
肘に負担になる影響については・・

 

レッドソックスの上原浩治や、
レンジャーズのダルビッシュ有の発言に
興味深いものがあります。
ダルビッシュは、

スプリットは指のかかり
具合がツーシームくらい浅い。

チェンジアップを投げるときは
薬指がボールにかかるので、
こちらの方が負担は大きい気がする。

 

中4日では投げた後の腫れも治まらない。
最低でも5日はほしい。

 

6日あれば腫れは確実に消える。
米国のボールは滑りやすく、
しっかり持とうとすると肘にストレスがかかる。

 

2011年に手術を受けた松坂大輔は
手術する2年ほど前から痛みがあり、

 

そのころは変化球より、
速球を投げたときの方がしびれたようです。

 

ハービーは自身の経験から

手術するかどうかは自分の気持ちに従うしかない

本当に個人の問題なんだ。
自分が一番いいと思うこと、気持ちに従うしかない。
と。

 

 

日経によると、
今年5月、トミー・ジョン手術の権威、
ジェームス・アンドリュー博士は、

「手術のリスクを減らす9カ条」を示しています。
正しいフォーム」「休養」「疲労のサインを見逃すな
速球派はリスクが高い」として、

 

「子ども時代からのカーブの多投」「高いマウンド」は影響を否定。

子ども時代からの多投はいけないが、
プロ選手のスプリット、球数制限への言及はなかった。

 

松坂は、

痛みに敏感に反応したのは賢明だった。
僕は痛みを我慢できたので投げたけれど、いいことではない。
不安がある間は投げない方がいい。

という。

 

アンドリュー博士も提言の中で、
過度な「手術信奉」を勧めもしないし、
リハビリによって断裂した靱帯がつながるわけではない。

としています。

 

球団のケアや気遣いも大事ですが、
自己管理も大きく、大切な要素になりそうです。

 

ウェインライト投手について、
ウィキを調べてコンパクトにまとめてみると・・・

 

2009年・・19勝8敗  防御率2.63
2010年・・20勝11敗 防御率2.42
2011年・・靱帯を断裂手術を受けます。
2012年・・14勝13敗 防御率3.94
2013年・・19勝9敗  防御率2.94
2014年・・12勝 敗 (現時点の前半までで)

 

ナショナルリーグ最多勝利 2回・2009年、2013年

ナショナルリーグ ゴールドグラブ賞 2回・2009年、2013年

オールスターゲーム選出 3回・2010年、2013年、2014年

 

2000年ドラフト会議でブレーブスから指名されます。

マイナーリーグ最下層のルーキーとして
プロ初登板、13試合で防御率2.35。

 

2001年以降、ウェインライトは先発投手として
育成28試合10勝10敗・防御率3.77・奪三振率10.1。

2002年はAdv-A級マートルビーチで
28試合9勝6敗・防御率3.31という成績を残し、

 

約144.8~149.7km/hの速球と鋭く曲がるカーブと
ストライクを稼げるチェンジアップを使い分けての投球。

 

シーズン終了後は、カージナルスとのトレードが成立。
移籍1年目の2004年は、右ひじを痛めたため
6月上旬でシーズン終了。

ここでリハビリを開始したものと思われます。

 

登板数は12試合にとどまり、
防御率5.37・WHIP 1.51の成績。

 

その年のアリゾナ秋季リーグで復帰すると、
2005年には先発ローテーションを1年間守り、
パシフィック・コーストリーグ
最多の182イニングを投げます。

 

マイナーリーグ閉幕後、9月上旬にメジャー昇格
11日のメッツ戦で初登板を果たします。

 

9回表に3番手として登場、
1回3失点というほろ苦いデビュー戦に。

 

2006年4月3日のシーズン開幕戦で
8点リードの8回裏に登板し、その後メジャーに定着。

 

前半戦終了時点で33試合44.2イニングを投げて
9ホールド・防御率2.82。
カージナルスは83勝78敗で
ナショナルリーグ中地区優勝。

 

ウェインライトは抑え投手として、
ポストシーズンに突入に。

 

ウェインライトの活躍もあって、
カージナルスに2年ぶりのリーグ優勝
そしてワールドシリーズ優勝を決め、

24年ぶり10回目のシリーズ制覇を達成します。

 

ウェインライトは先発転向1年目から
シーズンを通してローテーションを守り、

 

投球回数・勝利数・防御率・奪三振数の
いずれもチームトップという成績を残します。

 

2008年3月、カージナルスは、
ウェインライトと4年総額1,500万ドルで契約を延長。

この年は6月上旬に右手中指を痛め
故障者リスト入り2か月半にわたって欠場。

 

2009年、リーグ最多タイとなる34先発で
19勝・233イニングをマーク。

 

2010年はさらに好調で、
自身初となる20勝、213奪三振、防御率2.42。

 

2011年2月、肘の側副じん帯が断裂していることが発覚。

トミー・ジョン手術を受け、2011年のシーズンは絶望に。
10月には肘から遊離物を除去する手術を受けます。

 

2012年、トミー・ジョン手術から復帰
開幕からの7登板の防御率は6.16と絶不調と、

 

あれほどマウンドで途方に暮れたことは人生初めて。

と。
その後は3.42と持ち直し、FIPは3.10を記録。
シーズンを通してローテーションを守り200回近くを投げて、

手術明けとしては好調なシーズンを送ったのです。

 

2013年は、
チームと5年9750万ドルで契約を延長に。

 

こうして手術経過した後でも、
2014年も上記のように、先発投手として活躍しています。

 

手術後の活躍は、その他の選手に力を与え、
大きな礎になります。

 

もちろん、最後までリハビリから始めて、
途中に手術の可能性もありますが、

上記のように今なお、
その後も活躍できるのを見ると
嬉しくなりますね!

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